トップへ戻る 読んだ本の分類		作家番号：B089 鴋澤 歩 ばんざわ・あゆむ 国籍：日本 生没年：1966/4/9～ 　大阪大学大学院経済学研究科教授。大阪大学大学院経済学研究科博士後期課程中退、在ベルリン日本国総領事(当時）専門調査員などを経て現職。専門は近現代ドイツ経済史・経営史。 　博士（経済学）。 　著書に『鉄道のドイツ史』（中公新書）、『ふたつのドイツ国鉄』（NTT出版）など。

管理番号	書　　名		メ　　モ
B089-001	ナチスと鉄道		「ライヒスバーン」という組織の生と死

管理番号：B089-001

55 技術史・科学史

出版社：NHK出版

書名：ナチスと鉄道

共和国の崩壊から独ソ戦、敗亡まで

ISBN978-4-14-088663-2　C0222

NHK出版新書 663

価格：999Yen

ページ数：304P

本のサイズ：新書

初版発行：2021/10/10

購入：2023/7/14

オビ：Clementa Moreno/iStock Editorial/gettyimages

ナチス・ドイツについて、私たちはなぜか興味や関心をずっとうしなわずにきた。「ナチ趣味」を広言する人も少なくない。ナチやヒトラーの主張や行動にとても賛成も同調もできないけれど、あの親衛隊の制服には興味がそそられる、といった感覚。好事家(こうずか)的な収集癖やいわば美学的な関心の対象に「ナチス・ドイツ」があるわけである。 　けれども、たとえばヒトラーという一個人について、ナチズムの世界観について、議会制民主主義の崩壊から独裁確立の経緯について、ユダヤ人迫害について、第二次世界大戦中に起こった大量の流血と死について、････それらの一端でも、いくらか知れば知るほどに、ナチス・ドイツは理解しがたくなる。私たちの常識を裏切り、日常の感覚からどんどん遠ざかり、何か得体のしれないものになってしまう。（P4） 　その真の姿を異様とすることは大事ですが、つかまえにくいものであるだけに、全体像を把握しようとするより日常的な「もの」を手がかりにする方法もあるのではないか、というのが著者の姿勢でしょうか。 　だから、鉄道王国を自負する日本人としては、「ヒトラーの鉄路」という視点から見る方法もあるのではないか、と。 　ふむ。 　この歴史を語るために、著者はまず、ナチス・ドイツは「第一次世界大戦の産物」だ、といいます。その産物とはナチス・ドイツだけではなく膨大なものがあるとのことですが、それを論ずるために17世紀、ドイツが小国家群に分かれ、そこにゆるやかに「神聖ローマ帝国」という枷があった時代、そしてその枠組みが緩む原因となった「三十年戦争」の時代に遡る必要があるようです。主としてハプスブルク家が世襲した神聖ローマ帝国とは、諸侯の連合体であり統一国家はなく、ドイツの統合の兆しは18世紀のフランス革命とナポレオンの支配後まで待たなければなりませんでした。しかしプロイセン王国を核としてドイツ帝国が成立したのは19世紀半ばになってから。そして成立したドイツ帝国は、国内の統一と産業振興のため、徹底的に鉄道が活用されます。 　新興国として世界の近代国家の中であれこれをぶっ込んだため、第一次大戦を招きよせることになります。この戦いの中でもさまざまな形で発達した鉄道が活躍しますが、この国の敗戦を決定づけたのも、戦時下の鉄道輸送のパンクでした。 　この戦いに下士官として参加していた一人の男が、勝っている祖国を「革命」という背中からの一撃で敗北させた憎むべき陰謀家たちへの怒りに燃えあがります。オーストリア出身の下士官ヒトラーがどこで「アドルフ・ヒトラー」になったのかは今だ議論が続いているそうですが、地続きの土地に自給自足の根拠がなければひどい目に遭う、というドイツ人の考えは、第一次大戦の戦時下で確立し、ナチス・ドイツに引き継がれます。 　とはいえ、ドイツの国鉄が国有化されたのは、議会制民主主義の共和国となったドイツが起草した「ヴァイマル憲法」の第89条にて。この年つまり1920年に、ドイツに初めて鉄道が敷設された1835年以後80年以上たって、ドイツ国鉄(ドイツ・ライヒスバーン)が出来上がりました。 　この国鉄が、というか国鉄行政が、ナチの不動の綱領である「生存圏」構想による東方振興と結びつきます。 　ナチ党がドイツの国会で議席数を伸ばし躍進した1930年初頭、つまりナチ党が台風の目にはなっていても政権を執るまでに至らなかった頃、ライヒスバーンはドイツ国内で資本金270億ライヒスマルクと最大の企業でした。これは第二位の郵便事業（30億）、合同製鋼（12.7億）、化学メーカーI・G・ファルベン（12.6億）、総合電機企業ジーメンス・コンツェルン（5.9億）、ドイツ銀行（5.1億）などと比較しても相当なものです。また当時抱えていた合計60万人の従業員も、国内随一でした。さらにこの時点で40万の年金・恩給受給者がおり、従業員家族もあわせればドイツ人口の5%にあたる300ライヒスバーンの関係者でした。 　当時のライヒスバーンの営業キロ数は5.4万弱。これは英国の全鉄道営業キロ数の1.6倍、フランスの七大主要路線を合わせたものの1.2倍、イタリア国鉄の3倍以上であり、当時（大正期）の日本国鉄の5倍以上。主要路線が桁違いに大きかったアメリカ合衆国は39万キロ弱でしたが、サウス・パシフィック鉄道、ペンシルヴェニア鉄道、ニューヨーク・セントラル鉄道を合わせてほぼライヒスバーンと同じくらいになります。 　大不況にさしかかるこの時期、ライヒスバーンはドイツという国家の産業的根幹だったのでした。 　さっそうと国民の支持を得て躍り上がってくるナチ党にとって、大きなターゲットとなり得ます。 　一種のナチ・ブームが起こっていた。 　中間層のみならず、上層市民から労働者に至る社会の広範な層からナチ党への投票者が大量にでいた。旧(ふる)い通説とは異なり、ナチ党の台頭を支えたのは、没落の危機におびえる自営業者や農民などの旧中間層や、ホワイトカラー、官吏などの新中間層だけではなかった。選挙におけるナチ党の草刈り場は、一部の上層市民のみならず労働者にも広がっていたのである。（P62） 　ライヒスバーンが、というよりその総裁ドルプミュラーは、欧州の金融不況の嵐が吹き荒れる中で、鉄道高速化を推し進めます。その象徴となったのが、飛行船ツェッペリン号にちなんでつけられた愛称「レール・ツェッペリン（Schienenzeppelin）」という超高速列車。 　最高速度200km/h以上を目指して製作された列車は、一両編制で、BMW社製航空エンジンを搭載し、後部に四枚羽根の巨大な木製プロペラを持ち、流線型の車体で、超高速から停止するためにはじめて電磁式起動ブレーキが採用されました。 　実験走行で180km/hを出したのち、1931年6月21日にハンブルク＝ベルリン間257kmを走行し、平均時速150km以上、途中10kmくらいの区間で230km/hを出すという驚異的な実績を残します。この記録は第二次世界大戦後まで破られませんでした。 　商業的には、後部にプロペラがあるために一両の列車でしか走行させられず、他の車両を全て退避させなければならないなどの問題があって実用性は低かったのですが、インパクトはあります。 　この後もさらにライヒスバーンの高速化への挑戦は続きます。ようやく実用化の見通しが付いたディーゼル内燃機関を使い、電気式走行モーター、エア・ブレーキ、電磁式起動ブレーキを備えた二両編成のを備えた「空飛ぶハンブルク人 （Fliegender Hamburger）」が営業運転を開始し、最高速度160km/h、平均時速125km/hでベルリン=ハンブルク間を営業運転開始したのが1933年5月15日。アドルフ・ヒトラーが政権を掌握した3ヶ月後のことでした。 　多少歪んではいたもののそれなりに自由と進取の気質に飛んでいたライヒスバーンへ、ナチ党は侵入していきます。 　ナチ系の職員がユダヤ人幹部の追放を要求したり、総裁などの高位の幹部と一般鉄道員との賃金格差を糾弾する「労働者の党」を標榜するナチ党員の声があがったり、と、不穏な空気がライヒスバーンに満ちて、やがて職員が雪崩を打ってナチ党への入党志願したのでした。 　また基本的に分邦主義で地方自治的な組織であったライヒスバーンは、たちまちのうちに中央集権的な姿に変貌します。 　「国鉄を再びライヒに」がその合言葉。 　ナチスのモータリゼーション推進政策の波に乗って、ライヒスバーンはなんとアウトバーン建設も手中に収めます。「ライヒスアウトバーン社」を傘下に収めたドルプミュラー総裁は、アウトバーン工事鍬入れ式でヒトラーに鍬を渡す役を務めたという。 　ヒトラーは、ドイツが誇る鉄道網によって兵站を確保し電撃作戦を成功させた、という文書があります。 　全くそんな事はなかった、らしい。 　ポーランドの侵攻作戦からフランス攻略作戦において、鉄道は一瞥も与えられず、「電撃戦」は空軍と戦車を含む装甲車両により行われ、ドイツ国防軍の誇る機動性に富んだ迅速な構成によりあっという間に敵主力を殲滅しました。第一次大戦に置いてあれだけ活躍した鉄道網は、もはや不要と見られていたのか。通常業務の延長程度の役割しか期待されなかったにもかかわらず、鉄道は補助ながら軍事用運行を続けます。想定外の連続の中で振り回され、民需用の鉄道輸送がパンクしてもお構いなしで。 　その後の英国侵攻作戦にあたっても、同様。戦いの主役でなかったため注目されないために十分な行政的整備が行われず、縄張り争いを含めあちこち問題を抱えたまま戦争が推移します。 　独ソ戦が始まったとき、問題点が顕わになります。戦争準備をひそかに進める国防軍と、全く情報を知らされないまま新たな戦争準備を命じられるライヒスバーンの思惑のズレ。鉄道を知らないナチ高官による鉄道政策により、従来の軍隊と鉄道の住み分けを無視した新たな鉄道用の工兵隊「灰色の鉄道員」。ドイツとロシアの、軌間の違い、運行システムの違い。 　ソ連侵攻作戦(バルバロッサ)の足を引っ張る原因となった一つが、この鉄道行政の混乱による補給停滞といわれます。 　「電撃戦」の生みの親として有名なハインツ・グデーリアン（1888-1954）はこのとき（1941年12月の赤軍の反攻時）中央軍集団第二装甲軍（パンツァーアルミー）を指揮して、南方からモスクワ突入をうかがい、果たせなかったといわれる。月末一時帰国し、ヒトラーにモスクワ攻略作戦の中止を意見具申したが、その理由は戦闘以上に補給不足のなかでの越冬による損害が目立つというものだった。 　ほとんどの兵士が夏服しか着ていないのだとグデーリアンは訴えたが、ヒトラーは信じようとしなかった。「でたらめをいうな。陸軍補給局長は、冬服が支給された報告してきているではないか」。グデーリアンは、衣料品の積まれた大きな貨物が、長期間ワルシャワの駅に放置されたままであると答えた。（P163-164） 　輸送すべき物資の種類・量がドイツ本国でしか調達できず、輸送すべき物資の量はどんどん膨れあがり、鉄道輸送システムは限界を超え、新規の鉄道車両が充分に生産されないまま次々と消耗します。結果として補給線は多くの箇所で寸断。 　そしてソ連軍の焦土作戦による、鉄道網の破壊。 　これらの問題を、ドイツ国防軍は、ライヒスバーンは、どのように解決しようとしたのか。 　とはいえ1942年あたりまでは、一見ナチス・ドイツの優位は揺らいでいません。ヒトラー自身もそれを信じていました。 　その「順境」の中で、ドイツは占領した広大な地域から戦争経済を潤すため資産・物資を収奪し、申告する労働力不足のため外国人の労働力を移入します。それは強奪であり奴隷化でしたが、むろんヒトラーはそんな事は気にしない。ドイツの「生存圏」確保のための正義なのだから。 　ライヒスバーンはその無料の労働力を得て鉄道を整備し、全線に兵士や鉄道員を送り、さらに戦後の欧州全土にレールを通す計画まで立てます──むろんヒトラーの誇大妄想。なん と、軌間4メートルというとてつもない巨大鉄道を構想していたといいます。 　この、ナチス・ドイツのスーパートレイン計画は、1942年11月にヴィーンズ技師がまとめた諸元の覚え書きに基づき、1943年3月に計画概要がまとめられたものだそうです。現実的に構想されたのでしょうか。なおこの4メートル構想はコスト的にもあり得ないので、計画の中で3メートルに変更されたとのこと。 　ちなみに、欧州で通常標準軌といわれるものは軌間が1435㎜。当時のソ連の鉄道軌間は1525㎜とちょいと広い。これでは、そのまま走らせられない。多少の工事が必要。しかし3000㎜となると全く別な話になります。根本的な土木工事が必要になります。 　これについてはwikiにブライトシュプールバーン(Breitspurbahn)として記事があります。 　これらが、戦争の推移の中で消え去っていったとき、何が残ったのか。 　戦後、東西ドイツの分割に従ってライヒスバーンも分割されます。西の「ドイツ・ブンデスバーン　DB(ドイツ連邦鉄道)」と、東の「ドイツ・ライヒスバーン　DR」。 　全く違う発展と衰亡の道をたどった二つの鉄道は、冷戦の終わりに再統合され、見る影もなくなった二つの組織から「ライヒスバーン」という言葉も消えることに。 　そんな、激動の歴史であの時代をふり返った本です、これは。（2024/12/7） 　読書メーターの記録より　　読了：2023/9/13