トップへ戻る 読んだ本の分類		作家番号：N070 中野京子 なかの・きょうこ 国籍：日本 生没年：？？ 　北海道生まれ。ドイツ文学者。早稲田大学大学院修士課程修了。オペラ、美術などについて多くのエッセイを執筆する。2007年に発表された『怖い絵』を端緒とする『怖い絵』シリーズが大ヒットとなる。新聞や雑誌に連載をもつほか、テレビの美術番組にも出演する。早稲田大学講師。

管理番号	書　　名		メ　　モ
N070-001	怖い絵		今に伝わる名画にひそむ「怖さ」

管理番号：N070-001

63 文学評論・解説

出版社：KADOKAWA

書名：怖い絵

副題

ISBN978-4-04-100912-3　C0195

2007年7月 朝日出版社より刊行された同名の単行本に加筆訂正し。二作品を追加して文庫したもの

角川文庫 な50-2

価格：680Yen

ページ数：272P

本のサイズ：文庫

初版発行：2013/7/25　19版：2022/5/15

購入：2022/12/7

カバー画：「いかさま師」ラ・トゥール　ⒸUniphoto Press カバーデザイン：奥定奉之

著者・中野さんは、処刑されるマリー・アントワネットの姿を写したダヴィッドのスケッチ（左絵）を見て、怖い絵について書こうと思ったのだそうです。 　髪を刈り上げられ、後ろ手に縛られ、荷車に乗せられて断頭台へ引かれてゆく、元＜ロココの女王＞の愕然とするような姿。この絵が衝撃的なのは、栄枯盛衰の落差を突き付けられるからというより、むしろ描き手の悪意をひりひり感じさせられるからだろう。事実ダヴィッドという画家は、生き残るためなら平気で政治信条を変え、仲間を裏切り、権力者におもねり続ける人生を送ったのだが、このたびは国王処刑に賛成票を投じ、元王妃に対する憎悪を隠していなかった。（P7） 　そして、このアントワネットの絵を含め、22点の怖い絵の話が始まります。 　まず、本の扉絵の『いかさま師』（ラ・トゥール　1593-1652）。 　賭けトランプする三人と酒を注ぐ給仕女の絵です。芝居がかったうさんくさいポーズの人物の静止画。目つきの悪い正面の女は給仕女の合図を受け、左手前の後にカードを隠し持った男に合図を送っています。右の、前に金貨を積み上げた若い男は、明らかにネギをしょったカモ。 　道徳的ななにかを象徴すると共に、見るものに薄ら寒さを感じさせる絵ですね。誰かの依頼で描いたのだろうか。 　作者はルイ13世に召し抱えられ、次の時代にはもう忘れられた画家なのだそうな。精緻な絵ですが、描き手のうさんくささもあって、インパクトはあるけど見て楽しめる絵じゃないよね。 　次は、ドガの『踊り子』。正式には『エトワール、または舞台の踊り子』。ご存じ印象派の画家エドガー・ドガ（1834-1917）の一作。 　プリマ・バレリーナが舞台に登場する華やかな一瞬を切り取った絵です。舞台真横の桟敷席からの視点で、舞台裏までちらりと見せてくれます。 　なにが怖いのかというと、当時のバレエのスターたちの真の姿がかいま見えるから、なのだそうな。彼女らは、芸能スター、芸術家として脚光を浴びているように見えますが、実際のところ今日と違い彼女らは金持ちのパトロンの美しい玩具であり、娼婦と大差ない存在であったそうな。 　そのあたり、裏方の事情も見てきたドガが、彼女らを美しい個性のない踊り子として、文化の一断面を切り取って見せているのです。 　けれど確かなのは、この少女が社会から軽蔑されながらも出世の階段をしゃにむに上がって、とにもかくにもここまできたということ。彼女を金で買った男が、背後から当然のように見ているということ。そしてそのような現実に深く関心を持たない画家が、全く批判精神のない、だが一幅の美しい絵に仕上げたということ。それがとても怖いのである。（P34） 　作品12　アルテミジア・ジェンティレスキ『ホロフェルネスの首を斬るユーディト』。 　旧約聖書外伝に、こんなエピソードがあります。ユダヤの街がアッシリアの将軍ホロフェルネス率いる一団に包囲され陥落寸前になったとき、美しい寡婦ユーディトが侍女一人連れて敵陣に乗り込み、敵の将軍を籠絡したのだという。そして一夜を過ごしたのち、酔い潰れた敵の将軍の首を斬って町へ持ちかえります。大将を殺されたアッシリア軍はそのまま撤退したそうな。 　そのシーンを、それまでの画家は楚々とした美女と女主人を際立たせるための老いた醜女の侍女で描いていました。しかしこの女性画家は、違った。 　対するにアルテミジアのユーディトは、断固とした意志を持つ成熟した女性だ。神聖なる目的のためなら性的魅力を利用して男を陥れることさえ辞さず、失敗したら命を失うもの覚悟の上とわかる。彼女に仕える侍女も、使用人というよりは一人の同志として、強い連帯感の元に行動している。寝込みといえど一軍の将が相手ということで、二人はなみなみならぬ気迫を持って臨んでいる。正義は我にありと信じてはいても、鬼にならねば人は首など落とせはしない。 　かくしてこれまでの伝説の美女ユーディト像はどこかへ吹き飛び、血と汗のにおいが伝わる犯罪現場の生中継のような絵画ができあがった。（P140） 　アルテミジア・ジェンティレスキ（1597-1652）は女流画家が珍しかった、というか、女性に優れた技能があるなどと信じてもらえない時代の人。さまざまな偏見や誤解や女性蔑視の中で、堂々と雄大な構図の絵を描き残しました。 　作品19　レーピン『イワン雷帝とその息子』 　何やら怒号とものが倒れる音、破壊される音、なにかを叩きつける音。外で控えていろ、呼ぶまで絶対入るな、といわれていた廷臣たちがおそるおそる中を覗くと、そこに広がるのは恐ろしい情景。 　部屋の中央にうずくまる男ふたり。薄紅色のガウンを着た若い方は、かろうじてまだ左手を床についているものの、もはや身を支えるだけの力は残っていないらしく、今にもずるずる崩れかけている。そうはさせまいと必死の老人は、右手で彼の腰をしっかと抱き寄せ、左手でこめかみを押さえ、噴き出す血を止めようとするが、もはや手遅れだ。鮮血は首筋まで流れ落ち、なお皺だらけの指の間からあふれ続けている。 　瀕死の若者の目はすでに冥い。彼の命の火が刻々と消えつつあるのを感じた老人の、全身の震えまでもが伝わってくるようだ。白髪まじりの髪は乱れ、頭蓋に薄く張り付いて皮膚に血管が浮き出、削げた頬が痛々しい。そして恐怖に目を見開く。（P218-219） 　この絵は、1885年にロシア画家イリヤ・レーピン（1844-1930）によって描かれた歴史画。ロシア皇帝であるイワン雷帝（1530-1584）が実の息子である皇太子イワン（1554-1581）の諌言に怒り、その頭蓋骨を杖で打ち砕いた場面。息子イワンは数日後に死亡します。 　雷帝イワン4世の生没年は、織田信長（1534-1582）にほぼ重なるそうです。群雄割拠の時代に小領主として生まれ、世俗勢力や宗教勢力と戦った気短で猜疑心が強く、教養はあるのに粗野なふりをし、情け容赦なく敵を滅ぼして計り知れない恐怖を与えた梟雄として、共通するところがあるという。 　しかしこの絵はこの覇王の狂気を描きつつ、実はルーピンは、当時のロシア皇帝アレクサンドル二世（1818-1881）の暗殺事件より始まった自由主義者たちへの苛烈な弾圧をテーマにしていたと思われたのです。もはや統治能力を失った老人国家が、諌言に怒りで答え若者の将来を奪っているのではないのか、と。 　レーピンが伝えようとしたのは若者の痛ましい死だったはずなのに、強烈なインパクトを持って迫ってくるのは、自らの取り返しのつかない愚行に愕然とする老人の方である。彼の絶望、彼が感じる恐怖の、圧倒的なまでの大きさの方である。（P225） 　これ以外も、さまざまな、名画として今に伝わる絵画にひそむ「怖さ」を解説しています。 　この解説が正しいのかどうかは、わかりません。一つの考え方なのかもしれません。しかし心に刺さってきます。 　面白いね。（2024/12/21） 　読書メーターの記録より　　読了：2023/5/11