Y050 山本文彦

作家番号：Y050	山本文彦	やまもと・ふみひこ
	国籍：日本	生没年：1961年～
長野県生まれ。東北大学文学部卒業。同大学大学院文学研究院教授、同大学理事・副学長。　専門分野はドイツ中世・近世史。　著書に『近世ドイツ国制史研究』、『ドイツ史研究入門』など。訳書に『中世ヨーロッパ社会の内部構造』（オットー・ブルスナー）『神聖ローマ帝国 1495-1806』など。

管理番号	書　　名		メ　　モ
Y050-001	神聖ローマ帝国		欧州連合の基礎的理念だったもの

管理番号：Y050-001

53 史書・編年史

出版社：中央公論新社

書名：神聖ローマ帝国

「弱体なる大国」の実像

ISBN978-4-12-102801-3　C1222

中公新書 2801

価格：1000Yen

ページ数：320P

本のサイズ：文庫

初版発行：2024/4/25

購入：2024/7/28

オビ写真：右から時計回りに　オットー三世、フリードリヒ一世、マクシミリヤン一世、カール五世、マリア・テレジア　　帯デザイン：ヤマダデザイン室

　はじめに　と題した序文で、著者はこういいます。

　神聖ローマ帝国、その名称からして、不思議というか奇妙だが、962年から1806年まで、およそ850年間（足掛け845年）にわたり存在し続けた。日本史に当てはめると、平安時代の村上天皇から江戸時代の徳川家斉（11代将軍）までである。
　さらにこの帝国が存在した場所は、時代により伸び縮みはあるが、現在のドイツを中心に、スイス、オーストリア、チェコ、スロヴァキア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクに及んでいた。ョーロッパのほぼ中央に広大な版図を持つ帝国だった。
　今では神聖ローマ帝国という名称がよく使われるが、時代によって異なっていた。成立当初はローマ人の帝国、ローマ帝国、12世紀後半以降に神聖帝国、13世紀半ば以降に神聖ローマ帝国、さらに15世紀後半から「ドイツ国民の神聖ローマ帝国」が加わり、17世紀後半以降はドイツ帝国となった。しかし850年の歴史全体を通して、一貫して「ローマ帝国」と呼ばれていた。
　その意味では、神聖ローマ帝国は、古代ローマ帝国の後継国家であり、ヵール大帝まで遡(さかのぼ)る千年の歴史を持つ帝国である。（Pi）

　とはいえ後半のこの帝国は、18世紀のフランス思想家ヴォルテールに「神聖でもなければ、ローマ的でもなく、そもそも帝国でもない」と冷笑され、帝国内でさえもその90年ほど前のドイツの法学者プーフェンドルフに「妖怪に似たるもの」と断じられています。この「帝国」は、それほどまでの、箸にも棒にもかからぬ過去の亡霊だったのか。

神聖ローマ帝国版図　962-1806 神聖ローマ帝国版図　962-1806

　しかし欧州のさまざまな国の統合という夢のような理想を、欧州連合（European Union EU）が現実化したとき、その基礎的理念としての共通の歴史的経験が求められたとき、神聖ローマ帝国がそこにありました。200年ほど前まで存在した、国民を持たないが多くの民族を統合し、中央集権的ではないが紛争解決能力を有し、異なる文化を包括する連邦的な政治組織体。まさに、欧州連合が目指すものとして誇るべきものでした。
　と、ここまで前書きして、850年にわたる神聖ローマ帝国の歴史が語られます。

　神聖ローマ帝国とは、オットー1世の戴冠した962年より、というのが定説。その後約850年の歳月を経て、1806年のナポレオンの侵攻により終焉の時を迎えた疑似国家です。なぜ疑似なのかというと、国家としての体裁に問題があるから。
　まず、その前史としてのカール大帝の伝説まで遡ります。彼は、本来の意味での西ローマ帝国が実質的に滅んだ476年以後、現代のフランス、ドイツ、イタリアにまたがるフランク王国を築き上げ、800年にローマ教皇レオ3世より初代のローマ皇帝として帝冠を受けます。これをして神聖ローマ帝国の始まりとする考え方もありますが、現実的には前者とするのが一般的らしい。

東フランク王国　843-962

　このオットー1世は、カール大帝由来の王宮アーヘンで国王に選出され、936年に東フランク王としての戴冠式を上げます。これがのちに神聖ローマ帝国となる「帝国」の慣習として引き継がれ、1531年に即位したフェルディナンド1世まで600年まで、アーヘンで即位したものだけがローマ皇帝となる伝統となります。
　とはいえ、このときオットー1世は東フランク王になっただけ。そして東フランクとは、そもそも五つの大公国からなる連合体であり、その国王の支配権は脆弱なものだった。この中で王権を確立し第一人者となっていった父王ハインリヒ1世からの流れを引き継いだオットーは、まず大公たちを自分の宮廷の最高宮内職として制度化される地位を与え、同時に大公全てを王族で締めることに成功して権力を掌握します。
　そして26年かけて国内外の不安要素を制圧し、ようやく962年2月2日、ローマの聖職者や市民の歓迎を受けてローマに入り、教皇ヨハネス12世によってサン・ピエトロ教会で皇帝として戴冠します。
　カール大帝からオットー1世までの時代を神聖ローマ帝国の（三期に分けて時代区分したときの）一期と見る向きもありますが、この本ではここが、6つの章で区分されます。

　第1章ローマ帝国の継承者 は、教会という桎梏との争い、かな。事実上世襲として推移する代々の皇帝に対し、教皇権が叙任権を有することを主張して皇帝権より上位にあることを認めさせようとする。その結果起きる軋轢。
　この最終段階で起きた「カノッサの屈辱」（1077）とはなんだったのかについて、いろいろ説はあるけれど、

　紛争を解決するための方法は、武力だけではなく、それを切りぬける方法がいくつもあった。明文化されていない式次第に則って行動する場合、相手もそれにあわせて行動する必要があった。これがある意味、この当時の社会規範である。目に見えない社会規範が、儀礼という行為によって一瞬可視化される。カノッサでの出来事は、ハインリヒとグレゴリウスの和解の儀礼であり、これにより暫定的な妥協が成立したに過ぎなかった。（P48）

　と著者はまとめます。ふむ。

　第2章金印勅書と七選帝侯 は、皇帝と教皇が対立した1122年から1356年まで。
　この「ローマ帝国皇帝」は、ゲルマン王国の伝統に従い基本的に終身ですが選挙によって選出されます。むろん選挙権を持つ者は特別な地位にある者に限られますが、少なくとも無条件な世襲ではない。このへん、ローマ教皇の選出と似てますね。
　とはいえ選ぶのは諸侯であり、選ばれるのは基本的に血統による。しかし時の流れにより家系にかかわらず王になるものが出るのも、これまた古代ローマ皇帝と同じようなものといえるかも。
　ローマ皇帝の帝国は、教皇に認可されるものではなく神から与えられた神聖帝国であるという考え方を押し進めてローマ教皇と争ったシュタウフェン（ホーエンシュタウフェン）朝のフリードリヒ2世の死（1250）以後、神聖帝国の理念は崩壊し、約20年間のいわゆる大空位時代が始まります。この空位（Interregnum）という言葉、この間に王がいなかったわけでもないし、曖昧でいいかげんなので著者は「跳躍選挙（Springende Wahlen）」という別な言葉の方がしっくりするのではないか、と説きます。この時代は王を選出する選挙の制度が固まった時代でもあります。
　マインツ、ケルン、トリーアの三大司教、そしてベーメン（ボヘミア）王、プファルツ伯、ザクセン大公、ブランデンブルク辺境伯の四名の世俗諸侯の、計七選帝侯の確立です。これが決まったのは、1263年のローマ教皇ウルバヌス4世の教皇勅書による。
　で、これを定めたのが、1356年に時の皇帝カール4世により発布された金印勅書。これがその後約四百年に渡って神聖ローマ帝国の体制を規定しました。

　第3章両ハプスブルク家の黄金期 となるのは、帝国国制の制度化が確立する1353年から1555年まで。
東フランク王国

　戦争の世紀といってもいい15世紀では、戦争技術や戦略も変化していきます。火器の多用から始まった、騎士による一騎打ち戦法から歩兵・弓兵による戦いへの変化。これが軍事革命となって、英仏百年戦争（1337-1453）、フス戦争（1419-36）、薔薇戦争（1455-85）、さらに欧州へ侵攻しかけてくるオスマン帝国との戦いなどにおいて、どんどん発達していきます。
　そこで台頭してきたのがハプスブルク家。スイスの弱小貴族だったルードルフ1世が、大空位のさなかに帝国の国王に名乗りを上げます。帝位にはつかなかったものの、選帝侯たちのマリオネットのはずだった彼が、老獪にその狭間で勢力を伸ばします。その後選挙のたびに王あるいは皇帝となる家系は変わりますが、ルードルフの死より147年後、アルブレヒト2世（オーストリア大公としてはアルブレヒト5世）が王に選出されると、それから一度の例外を除き帝国の終焉までハプスブルク家が皇帝位を独占します。
　「両」ハプスブルク家とするのは、途中でスペイン系とオーストリア系に分かれたから。この二つのハプスブルク家が、これ以後のヨーロッパの諸王家に大きな影響を与えることになります。

　「戦(いくさ)は他国にさせておけ。幸いなるオーストリアよ。汝は結婚せよ」多少の表現に違いはあるにせよ、この言葉を聞いたことがある人も多いのではないだろうか。この言葉は、17世紀に初めて現れたといわれているが、誰が言い始めたのかは知られていない。ここでいうオーストリアはハプスブルク家を指している。ハプスブルク家はこの言葉をモットーにして、結婚政策によって領土の拡大を図ったと、まことしやかに語られている。（P97）

　このように、たしかに結婚政策によってハプスブルク家は勢力を伸ばしていったといわれていますが、それは結果論であると著者はいいます。戦いと共に婚姻政策はどの王家でも行っており、たまたま幸運の積み重ねで結婚相手の家が断絶したりしたことを巧みに利用できたに過ぎないし、死の危険が大きく幼児死亡率が高かったあの時代では、そもそも予見できるものではないのです。
　またあの言葉は、いかにも戦いに弱いという印象をあたえますが、吹けば飛ぶような弱小国が神聖ローマ帝国抜きにしても大帝国を築いたことは事実であり、敗戦のみに注目するのは敗退していった家系のやっかみに過ぎないのではないか。

　第4章宗教対立と三十年戦争 を、宗派の時代とします。1555年から1648年まで。
　ローマ教皇がルターに破門状を発布したのは1521年。今までくすぶっていたローマンカトリックの腐敗への不満は、この男の改革によってついに爆発します。むろんこの男、ときの閉塞感と共に王侯たちの対立も上手く利用したのですが。
　この、全欧州を分断した宗教対立の中で三十年戦争が始まるのですが、そこに至る歴史もまっすぐな流れではない。
　オスマン帝国の圧力、教会勢力を自分の手にすることにより経済的な基盤を確保したプロテスタント諸侯、教会改革により刷新した教会の力を活用するカトリック諸侯、そしてその上で形としてローマ教会のカトリックをかかげる神聖ローマ帝国。
　三十年戦争の勃発時、七選帝侯のひとりプファルツ選帝侯フリードリヒ5世が1619年にベーメン（ボヘミア）王位を得て皇帝位への野心を見せますが、軍事的敗北によって敗退し、1623年に選帝侯位を剥奪される事件が起きます。この方は今の時点で「神聖ローマ帝国三十年戦争」という漫画の主人公になっていますが、歴史の中で扱いは小さいですね。皇帝位はこの時代、ずっとハプスブルク家の独占するところですので、あの漫画はそのままでは主人公を変える必要があるのでは。
　戦争技術の発達により従来の比ではない悲惨な戦争が続き、戦争の終結のためのさまざまな努力が払われ、ついにウェストファリア講和会議に至ります。現代の人がふり返るととゴールがはっきりしている戦争であり1648年の終戦は当然のように見えますが、当事者たちにとってこの平和は奇跡的なもの。このとき締結されたウェストファリア条約の歴史的意味については、さまざまな評価・解釈がなされています。
　この、中世という剥き出しの欲望の時代から平和を希求することが正義といわれるような時代に変遷する契機となった条約とその体制によって、ヨーロッパの政治は新しい秩序を生みだしました。

　第5章ウェストファリア体制 とは、皇帝権の復興の時代であるとします。1648年から1740年まで。
　ウェストファリア条約の条文が厳密に定まり、関係諸国が真摯にそれを履行したかというとそういう訳ではありません。歴史は利害県警のある人と人が作るものだから。しかし、国家の仕組み、戦争の終始、人々のあり方について、一つの規準を作り、それを後世に継続させました。
　とはいえハプスブルク君主国となった神聖ローマ帝国は、帝国の軍制を改良して従来の帝国クライス制度を刷新し、オスマン帝国によるウィーン包囲（1683）、ルイ14世によるスペイン領ネーデルランド侵攻（1667-68）、スペイン継承戦争（1701-）を戦うこととなります。

　第6章帝国の終焉 は、多極化の時代となった1740年から1806年まで。
　1740年、皇帝カール6世の死によってハプスブルク家の男系相続が断絶します。そのためこの年、ついに皇帝位を失います。
　このとき二人の人物が歴史に登場します。一人はハプスブルク家の相続人としてオーストリアの大公女となった、のちに女帝と称されるマリア・テレジア。女性である彼女は神聖ローマ帝国の皇帝となる権利はないものの、ハプスブルク家の統治者となり、ロートリンゲン公フランツ・シュテファンと結婚し、その間に生まれたヨーゼフが一つおいた次の神聖ローマ帝国皇帝となります。
　そしてもう一人、フリードリヒ2世が時代の主役として登場します。のちにフリードリヒ大王と呼ばれた後者は、プロイセン王であると共にブランデンブルク選帝侯でした。
　この二人が、オーストリア継承戦争を初めとする多くの戦争で、雌雄を決しようとします。これがこの時代の序盤を飾るもの。
　実質的にオーストリアとブランデンブルク=プロイセンの二強体制となった時代は、ヨーロッパの政治体制に大きな遺産を残します。そしてこの二強を中心として大小の国々が共存していた世界をついに破壊したものは、隣国フランスの革命より始まったものでした。
　ナポレオンの征服までの歴史と、この軍事的英雄を打倒するまでの歴史は、語るだけで本が何十冊にもなるもの。
　しかしこの次の時代、ハプスブルク家は存続しますが、神聖ローマ帝国の存在意味はもうありませんでした。

　終章神聖ローマ帝国とはなんだったのか　で語られるのは、神聖ローマ帝国と呼ばれる「国」の、歴史的なさまざまな意味。決して懐古的なものではない。
　さまざまな妥協と、ゆるやかな連合体と、法的な共同体としての帝国。肯定的に語るとすればこれか。
　少なくとも、平和と同じ価値観を希求するという意義を共有できる「連合体」であったのだとしたら。これは欧州連合（European Union EU）の遠い祖先といってもいいのではないか。

　なるほど。これだから歴史は面白いね。（2024/12/11）

　読書メーターの記録より　　読了：2024/10/29　