トップへ戻る 読んだ本の分類		作家番号：A061 阿部謹也 あべ・きんや 国籍：日本 生没年：1935/2/19～2006/9/4 　日本の西洋史学者。専門はドイツ中世史。一橋大学名誉教授。上原専禄門下生で、一橋大学学長、国立大学協会会長等を歴任。 　中世ドイツ・ヨーロッパの民衆史を専門とし、伝説や生活史を検証する分野を開拓した。著書に『ハーメルンの笛吹き男ー伝説とその世界』(昭49)、『「世間」とは何か』(平7)、『学問と世間』(平13)などがある。 　小樽商科大学教授、東京経済大学教授を経て、一橋大学社会学部教授。一橋大学を定年退官後、同名誉教授となり、同大学長。 　後年は国立大学協会会長、文化功労者審査会委員、財団法人大学基準協会副会長、大学審議会特別委員、学術審議会委員、 東京都青少年問題協議会副会長（会長：石原慎太郎東京都知事）、大学評価・学位授与機構大学評価委員会委員長等を歴任。1997年紫綬褒章。 　晩年は腎臓病を患い、人工透析を受けながら、研究執筆を続けた。2006年9月4日午後9時37分、急性心不全により東京都新宿区の病院で死去。71歳。

管理番号	書　　名		メ　　モ
A061-A061	ハーメルンの笛吹き男		お伽話の中に隠されたさまざまな歴史

管理番号：A061-001

54 歴史点描

出版社：筑摩書房

書名：ハーメルンの笛吹き男

伝説とその世界

ISBN978-4-480-02272-1　C0122

1974年10月28日 平凡社より刊行

ちくま文庫 あ4-2

価格：760Yen

ページ数：336P

本のサイズ：文庫

初版発行：1988/12/1　第36刷：2019/10/5

購入：2022/11/3

カバー装画：ブリューゲル 「シント・ヨーリスの縁日」より

「はじめに」という前書きはこのような文章で始まります。 　1971年5月のある日、私は西ドイツのゲッチンゲン市にある州立文書館の一室で14、15世紀の古文書、古写本の分析に没頭していた。（P13） 　つまりこれは、今（2025年）から半世紀以上前、ドイツがまだ東西に分裂していた頃の研究。このとき著者の目に＜鼠(ねずみ)捕り男　Rattenfäenger＞という単語が飛びこんできたのだそうな。それは、クルケン村という小邑にあるジュルグンケンの水車小屋を舞台した、鼠捕り男の伝説でした。 　ある男が粉ひきのところに住み込みで働かせて欲しいと頼んだが、冷淡にあしらわれたので、鼠を小屋じゅうにあふれんばかりに送りこんだ。粉ひきが泣かんばかりに謝ったので、男は鼠を近くの湖の氷に穴をあけてそこに導き溺れさせた、という。（P14） 　さらにこの研究者は、この物語を＜ハーメルンの笛吹き男＞伝説と結びつけ、子供たちを連れて、私（著者である阿部謹也さん）が研究対象としているゼクセン地方に入植した可能性がある、と書いていたのだそうな。 　古文書の解読・分析で疲れていた「私」は背筋に電気が走る感覚を覚え、単調で細かい仕事からひと息ついてこの物語に想像の翼を広げていったのだそうです。 　この伝説はどうやら荒唐無稽なものではなく、130人の子供たちが1284年6月26日にハーメルンの町で失踪したことがさまざまな記録に残っており、古来多くの人々がこの事件をいろいろに語り、解釈していたのだそうです。興味本位で調べ始めた「私」ですが、やがて 　それは単に幼年時代に記憶をかすめていった伝説を大人の目で解明するといった面白さではなく、また子供たちはいったいどこへ行ったのかという、この伝説が持っている謎解きの面白さだけでもない。それら以上に130人のいとけない子供たちが行方不明になったという、異常な事態の背後にある当時のヨーロッパ社会における庶民の生活のあり方が私の関心を強く引いたからである。いずれにせよひとたび最初の興奮を自分の中で整理し、秩序立てて自分の関心を追求しようとすると、この伝説の探求もまた私の日常を規定する営みとして、史料を集め、文書を読むという作業として行う以外にはなかった。 　幸いなことにこの伝説の探求は、私がそれまで長いあいだかけて追求してきた問題と同一線上にあって、いわば私のこれまでの研究生活の中に咲いた小さい花とも言うべき位置を占めることになった。私はすでにこの伝説のエッセンスとも言うべき内容と位置づけを『思想』1972年11月号(581号)で行ったことがある。本書においては、さらにそのあとに明らかにしえた結果を援用しながら、この伝説を中心にすえ、主として当時の人々の社会生活に観察の目を向けていこうと思う。 　13世紀ドイツの小さい町で起こった、一つの小さな事件から生まれたローカルな伝説であるかもしれないが、この伝説は僅かの間に全世界に知られるようになった。1284年に起こったこの事件がなんであったにせよ、この頃のハーメルンの人々を悲しみと苦しみが時代を超えて私たちに訴えかけているからであろう。その悲しみと苦しみを生みだした当時の人々の生活に接近する時、私たちはこの伝説に対する素朴な謎解き的関心や好奇心を越えて、ヨーロッパ社会史の一面に直接触れることになるだろう。（P15-16） 　と、プロフェッショナルな史学者としてのアプローチで研究を始めます。半可通のド素人の「新発見の史料による決定的な新説！」などとは根っこからして違いますね。 　日本でこの伝説は、子どもの頃の絵本も中学や高校の教科書の笛吹き男（パイドパイパー）の話も主としてグリム兄弟の伝説集（1816）か英国詩人ロバート・ブラウニングの『ハーメルンのまだら色の服を着た笛吹き男』（1849）からとられているので、とあります。そこでまずまず、グリムによる『ドイツ伝説集』の確認から始まります。 　ちなみに鐵太郎は、寡聞にしてなのか忘れたのか、ブラウニングの詩についてはまったく覚えがありません。 　右に、ハーメルンという町の場所を示します。現在のドイツの中央あたり、といってもいいかな。なぜこの地図を出したのかといいますと、130人の子どもあるいは失踪した人々が、東欧つまり現在のポーランド、バルト三国、ハンガリー、ウクライナなどへ開拓民あるいは奴隷として行ったという説があり、位置関係がわかると理解しやすいと思ったから。食生活の変化で人口過剰になったため、という説があるのだそうです。 　また左の地図は建国期のハーメルンの町。どこに原初の村落があったのか、どこに教会・市参事会堂があったのか、どこに門があったのか、どこに子供たちは集合してどこから子どもが出ていったのかが記録に残っているのです。出ていった方向と、子供たちが呑みこまれたというヴェーゼル河の方向が違うことがわかります。 　また「ハーメルンの笛吹き男」伝説では、町の参事との契約が裏切られたことが悲劇に繋がったといわれます。この市参事会堂の位置関係は、ストーリー上重要なのだそうな。 　「私」すなわち著者は、多くの史料や口伝を集めて整理し統合し、この伝説の姿を再構築しようとしたのですが、むろんそれは一つの結論に至る単純なものではない。さまざまな分岐と変遷を経るのですが、なぜどのように変貌したのか、源流はどうだったのかへの考察がみごと。 　章立てだけを下に抜き書きしました。 　細部を取り上げるときりがないので割愛しますが、下に挙げた章立てだけである程度話の流れがわかるというのが、優れた文章書きというか論文執筆者の手腕を示していませんか。　 　○第一部 笛吹き男伝説の成立 　　第一章 笛吹き男伝説の原型 　グリムのドイツ伝説集　　鼠捕り男のモチーフの出現　　最古の史料を求めて　　失踪した日付、人数、場所 　　第二章 1284年6月26日の出来事 　さまざまな解釈をこえて　　リューネブルク手書本の信憑性　　ハーメルン市の成立事情　　ハーメルン市内の散策　 　ゼデミューンデの戦とある伝説解釈　　「都市の空気は自由にする」か　　ハーメルンの住民たち　　解放と自治の実情 　　第三章 植民者の希望と現実 　東ドイツ植民者の心情　　失踪を目撃したリューデ氏の母　　植民請負人と集団結婚の背景　 　子供たちは何処へ行ったのか？　　ヴァン理論の欠陥と魅力　　ドバーティンの植民遭遇説 　　第四章 経済繁栄の陰で 　中世都市の下層民　　賎民＝名誉をもたない者たち　寡婦と子供たちの受難　　子どもの十字軍・舞踏行進・練り歩き 　四旬節とヨハネ祭　　ヴォエラー説に見る〈笛吹き男〉 　　第五章 遍歴芸人たちの社会的地位 　放浪者の中の遍歴楽師　　差別する側の怯え　　「名誉を回復した」楽師建ち　　漂泊の楽師たち 　○第二部 笛吹き男伝説の変貌 　　第一章 笛吹き男伝説から鼠捕り男伝説へ　 　飢餓と疫病=不幸な記憶　　『ツァイトロースの日記』　　権威づけられる伝説　　〈笛吹き男〉から〈鼠捕り男〉へ 　類似した鼠捕り男の伝説　　鼠虫害駆除対策　　両伝説結合の条件と背景　　伝説に振回されたハーメルン市 　　第二章 近代的伝説研究の序章 　伝説の普及と「研究」　　ライプニッツと啓蒙思想　　ローマン主義の解釈とその功罪 　　第三章 現代に生きる伝説の貌 　シンボルとしての〈笛吹き男〉　　伝説の中を生きる老学者　　シュパヌートとヴァンの出会い 　例として、第二部・第一章の7番目の項目、「両伝説結合の条件と背景」で描かれた内容を記してみます。 　ここでは、欧州の各所にあった〈鼠捕り男〉伝説と、〈ハーメルンの笛吹き男と130人の子どもの失踪〉伝説がどのように結合したのかを考察しています。 　前提としてハーメルンが古来水車の町として著名だったことがあるそうです。碾(ひ)き臼を主要な輸出品としてしており、紋章に水車用の石を使うほど小麦の加工で有名でした。たくさん穀物倉や十分ノ一税館があり、鼠害対策に頭を痛めていたとか。ここで、社会的な階層としてはほぼ同じであった流れ者の〈鼠捕り男〉と〈笛吹き男〉すなわち放浪する旅芸人が同一視され、二つの伝説が統合すると共に市民の忘恩というモチーフが追加されたものであろうとする結論に無理はないと思われる、という。1566年にヨハンネス・ヴィエルスがこの結合した伝説を〈鼠捕り男の復讐〉として書物で刊行しています。 　しかも1551年から1553年にかけてハーメルン市は、190軒の家が燃えた大火、1400人の命を奪ったペスト、大洪水に加えて宗教戦争と、続けざまに大災害を受けていました。ハーメルンは一応新教側でしたが、内部に旧教側の勢力もおり、カトリック陣営はここを「豊かな武器庫」と呼んで占領します。 　こういった複雑に錯綜した町の中で理不尽な犠牲者となったハーメルンの市民の中に、かつて町を恐怖のどん底に陥れた悲惨な物語の伝説を町の歴史として記する流れができたのだという。昔からこの町は悲惨な歴史を重ねてきたのだ、という話は、当時のハーメルンの町の人々の救いになり得たのか。 　これも、実は〈ハーメルンの笛吹き男〉の物語を形作るひとつの要素なのだそうな。 　こういった話をひとつひとつ積み重ね、検証していきます。 　なるほど、歴史の検証とは、かくも幅広く困難な道筋なのですね。（2025/6/14） 　読書メーターの記録より　　読了：2023/1/7