トップへ戻る 読んだ本の分類		作家番号：C075 レモン・シュヴァリエ＆レミ・ポワニョ 国籍：フランス レモン・シュヴァリエ Chevallier, Raymond 1929/6～2004/11/30 　パリの高等師範学校(エコル・ノルマル・シュペリュール)卒業後、ローマのフランス学院(エコール・フランセーズ)で研鑽するというローマ研究のエリートコースを歩み、長くトゥール大学で教鞭をとったローマ史の大御所。 レミ・ポワニョ Poignault, Rémy 1984～2019 　クレルモン・フェラン大学のラテン文学の教授で、同大学の古代文明研究センターの所長を兼務。ユルスナール研究国際協会の会長としても国際的に活躍。

管理番号	書　　名		翻訳者	メ　　モ
C075-001	ハドリアヌス帝		北野 徹	多彩で複雑で偉大であった一人の統治者の物語

管理番号：C075-001

51 伝記・一代記

出版社：白水社

書名：ハドリアヌス帝

文人皇帝の生涯とその時代

ISBN978-4-560-50945-6　C1222

原題：L'empereur Hadrien（1998）

翻訳者： 北野 徹

白水社【文庫クセジュ】 945

価格：1050Yen

ページ数：192P

本のサイズ：新書

初版発行：2020/3/25

購入：2020/11/9

装丁：田淵裕一　欧文デザイン：牧かほり

この本は、 　「厳格だが愉快であり、衝動的であるが慎重であり、けちだが気前がよく、無邪気であるが陰険であり、残酷であるが慈悲深く、いつもあらゆる点で気まぐれだ」（P18） 　と、『ローマ皇帝群像』において撞着語法のように対句を並べたかたちで評された矛盾の人、複雑な性格を持った一人の統治者の物語です。 　序文で、さまざまな参考史料について述べたあと、ハドリアヌスという人物に関する評価について、古代のテクストの段階で対称的なものがある、といいます。 　一つは、否定的なもの。 　美青年アンティノウスを寵愛してこの健気な青年を神格化し、軍務をないがしろにして法律や宗教の問題に傾倒し、文学・建築・美術に熱中し、自分の別荘にこもって享楽的な人生をすごした軽率な耽美主義者、というものが一つ。 　それに対し、旅行好きで平和を好むが軍事訓練を視察して兵たちの尊敬を集めていたと共に優れた為政者で、二百年後の世にそのまま使われた行政制度を確立させたというものもある。 　寛容かと思えば晩年には嫉妬・憎悪・狭量で多数の元老院議員に死を命じた人。この二面性。 　ならば、彼はいったい、どんな人物だったのか。 プブリウス・アエリウス・トラヤヌス・ハドリアヌス Publius Aelius Trajanus Hadrianus AD76/1/24-138/7/10 第14代ローマ元首(皇帝) 在位：117-138 　ネルウァ＝アントニヌス朝の第3代目元首。前任者であるトラヤヌスの拡大路線を放棄し、内政と国境管理に力を入れて18世紀のイギリスの歴史家エドワード・ギボンからいわゆる五賢帝の一人として称賛されたが、治世にける混乱やその強権から同時代人には暴君として恐れられてもいた。 　ハドリアヌスの属するアエリウス氏は、ローマ市街に住む名家ではなく、属州バエティカ（イベリア半島南部）のイタリカ（セビリア近郊）に居を構える地方名望家のローマ市民でした。同じく新興貴族である、皇帝トラヤヌスが属するウルピウス氏とは血縁関係があります。 　アエリウス氏で最初に元老議員になったのは、ハドリアヌスの四世代前、ほぼ一世紀前のマリュッリヌスと記録されていますが、おそらくこれは創作。一族の中ではハドリアヌス自身が最初の元老議員であろうと著者は言います。 　ハドリアヌスの幼少期についてわかっていることは、彼が十歳で父を失ったことと、後見人が亡父の従兄弟トラヤヌスとトラヤヌス治世下で近衛長官となったアッティアヌスであったこと、そして若いハドリアヌスが非常に幅広い教育を受け、ほぼすべてに渡ってそれを会得する才に恵まれていたこと。 　トラヤヌスとの仲は一時的に悪化したときもあったようですが、AD101年にハドリアヌスが公職の階段(クルスス・ホノルム)を登りはじめた頃には回復したようで、彼は皇帝トラヤヌスの元首税務官(クワエストル・プリンキプス)となって皇帝の演説の代読をするほどになっています。その際元老院で「少し訛りのある口調」で読んだと揶揄されたので、それを矯正するために厳しい練習を行ったそうな。 　トラヤヌスの姪の娘ウィビア・サビナと結婚したのはおそらくAD100年頃ですが、皇帝となったトラヤヌス（在位98-117）の身内から信頼できる側近としての地歩を徐々に固めていき、117年7月に属州シリアの皇帝管轄属州総督(レガトゥス・アウグスティ・プロ・プラエトレ)に就任します。シリアは帝国のもっとも重要な属州の一つであり、ここからトラヤヌスからの信頼が相当に篤かったことが見て取れます。 　ハドリアヌスが、トラヤヌスが自分を養子に指名したという書簡が受けとったのは117年8月9日。トラヤヌスが死んだという知らせがハドリアヌスに届いたのはその二日後。ハドリアヌスはこの8月11日を皇帝の日(ディエス・インペリイ)（即位記念日）としたそうな。 　この養子縁組、皇位継承、即位について、古代からいろいろ不審な点が追求されています。皇妃のプロティナの陰謀説が有名ですが、現代に至るまで確実なものはありません。反ハドリアヌス派の声は、当時からあったらしい。特に元老院は、ハドリアヌスを嫌うものが多かったのだそうです。 　いずれにしても当時のローマ皇帝の継承は、皇帝の宣言あるいは嫡子・養子であることが条件ではありません。あくまで最高権力は元老院にあり、元老院が祭場の人物であると認定した人物でなければならなかったはず──ただしこれはタテマエであり、徐々にそのタテマエは崩れていきますが。 　その結果元老院に「最良の皇帝(オプティムス・プリンケプス)」と呼称されたトラヤヌスが後継者・養子としたハドリアヌスということでそれなりの重みはあったものの、ハドリアヌスの皇帝継承には波乱がありました。 　とはいえパルティア遠征軍というその時点で動かせる最強の機動部隊を指揮するハドリアヌスが、「兵士が『皇帝(インペラトル)』と歓呼しており国家は皇帝なくして存在しえないので皇帝へ任じてくれませんか」、と辞を低くした書簡を送ってくれば、もはや元老院は追認せざるを得ない。 　ハドリアヌスの治世は、まず前帝トラヤヌスの功績を称え神格化するところから始め、次にトラヤヌスの指揮あればこそ維持拡張できたローマの国境線を下げる決断を行います。そののちに行われたローマ元老院四名の処刑は、後者の政策を徹底させるためともいえるのですが、これが元老院との対立を決定的にします。 　ある意味で、元老院というローマの根幹を支えた屋台骨に対して、広い視野に立ってそれに対抗する気概を持った皇帝の一人として評価されるべき人物でした。 　この本では、皇帝就任とその前後の事を描き、ハドリアヌスを取り巻く盟友、側近、廷臣たちと彼の統治スタイルを描いた後、なんと全六章のうちの第二章のⅣ項で、病臥に伏せる姿と後継者問題を取り上げます。全体の三分の一のところで描写される亡きあとのビジョンの最初に出てくるのが、L・ケイオニウス・コンモドゥス。 　彼は136年、35歳くらいの時にハドリアヌスの養子となります。この時代を描いた漫画「テルマエ・ロマエ」にも出てくる、女たらしの遊び人・性格の悪いボンボン青年です。この男が、評判が悪い。 　『ローマ皇帝群像』によると、どの点から見ても皇帝の器(カパックス・インペリイ)ではなかった。伊達者の繊細さ、独創的な料理のわざ、惰弱な放蕩者の洗練さという点で秀でていただけで、そのうえ軍務経験もなく、トラヤヌスやハドリアヌスと異なり、まったく軍人(ウィル・ミリタリス)らしいところがなかった。さらに悪いことには、健康も芳しくなかった。『ローマ皇帝群像』が喧伝する毒舌によると、彼が養子になれたのは、美青年であったから、とのことである。（P54） 　いやはや何とも。むろんハドリアヌスの同性愛的傾向は知れ渡っていましたので、そこは道徳的非難というより妬心による言い掛かりでしょうけど。 　しかしこの悪口にかかわらず、このケイオニウスという青年はさほど劣った人間でもなかったそうな。弁舌は爽やかで、属州の統治も非の打ちどころがなく行っていたそうです。彼を選択した理由について、ハドリアヌスの私生児だったのでは亡いかという説（ジェローム・カルコピーノ 1881-1970）が唱えられていますがそれはないだろうとのこと。 　もしかしたら彼は、ハドリアヌスが昔から目をかけていたアンニウス氏族の少年M・アンニウス・ウェルスの後見人として選ばれたのかもしれない、というのが著者の説（なのかな？）。 　この少年と同名の父系の祖父と、母系の曾祖父L・カティリウス・セウェルスはハドリアヌスのかけがいのない協力者であり、ハドリアヌス自身の家系ともいろいろな婚姻関係があります。この少年こそが、のちにマルクス・アウレリウスとなり二代あとのローマ皇帝となりました。 　ケイオニウスは二度執政官に就任したのち、ハドリアヌスの抜擢に答え上部・下部パンノニアの統治を行った後、ハドリアヌスと養子縁組してルキウス・アエリウス・カエサルと名を改めましたが、その直後、138年に病没しました。 　ハドリアヌスは十歳ほど年下のT・アウレリウス・フルウス・ボイオニウス・アッリウス・アントニヌスを養子とします。彼はその年に実子二人を失ったこともあり、マルクス・アウレリウスとアエリウスの息子ルキウス・ウェルスを養子とします。そのすぐあと、ハドリアヌスは没します。138年7月10日。 　このあたりの人の流れは、歴史に記された通りですのではっきりしていますが、歴史書とか解説書によって解釈がだいぶ違います。それもまたヨシ。 　ただ元老院に嫌われたハドリアヌスがあやうく記憶の断罪(ダムナティオ・メモリアエ)処分されそうになったとき、後継者アントニヌスが元老院に懇願してそれを止め、神格化させることになった経緯にたいしては一致していますね。 　第三章で描かれるのは、ハドリアヌスの行った業績と、ローマの行政・政府の推移。 　第四章は、ローマの社会、経済、そしてローマ世界。ハドリアヌスはなぜローマ全土を視察旅行したのか。 　第五章は、文化活動。文人皇帝としてのハドリアヌス。ラテン文学とギリシャ文学の興隆。 　第六章は、ハドリアヌスの行った文化活動。美術、そして宗教。 　プブリウス・アエリウス・トラヤヌス・ハドリアヌスという人物は、ローマの上流階層の階層です。弁論、歴史などの知識と共に士官、指揮官として軍務に就いた経験もむろんあり、何より皇帝に推戴されたのが現地の軍団兵ですから、政治と共に国防もむろん深い理解を持っております。 　にもかかわらず文人皇帝と呼ばれたのはなぜか。なぜローマ帝国史上最も広い領域にまでローマ兵を進めた前帝トラヤヌスの功績を理解しつつ、アルメニア、アッシリア、メソポタミアなどの領土を放棄し国境線を下げたのか。 　後半ではこれらの業績、治世方針、文化政策を、ハドリアヌスという人物の変化と共に描写します。 　第二章までの生涯を重点にハドリアヌスの生涯を追った書物は、ハドリアヌス帝の回想（マルグリット・ユルスナール）などがありますが、この著者のような視点で広くハドリアヌスを描いた本は、この本以前にはなかったのだそうな。 　またさまざまな例と業績を上げたのち、著者はこう締めくくります。 　この皇帝は優れた教養人であり、一つの哲学にこだわらなかったと考えられるとしても、ギリシア好きで、審美的・官能的・知的な快楽を好み、そのときどきの問題に忙殺されていても、死・霊魂・神を追求していた。飽くことなきエピクロス哲学なのだろうか。生き残りを図ろうとする熱望なのだろうか。いずれにしても、彼の念頭にあった、職務として、統合主義としての権力の概念は、開明的君主制を説くプラトン哲学の原則のように、ストア哲学の犬儒学派の普遍主義に満ちている。アカデメイア学園、さらにはリュケイオン学園も、象徴的にティヴォリの別荘に表現されていないのか。ハドリアヌスの特長は、彼の時代の折衷主義にあったと思われる。トラヤヌスのパルティア戦争によって帝国が動揺したあと、ハドリアヌスは、平和と適切な政策によって帝国に偉大さと均衡を保証したし、行政機構を改良し、国境の安全に配慮することによって経済的幸福と共に、より良き正義の確立に注意を怠らなかった。皇帝の同時代人であったアッリアノスの評価は、廷臣の考えであることを考慮しても、間違っているとは思えない。「『若者の槍、美しき調べの詩想、良き行動を擁護する公的正義が花開く』（テルパンドロス、断片7）という詩句は、古代のスパルタよりも、ハドリアヌスが20年来行ってきた現在の統治にふさわしい」。いずれにしても、それがハドリアヌスの目的であったと考えられるし、M・ユルスナールによる人物の再創造も、この方向に向かったのである。（P165-166） 　なるほどね。 　最後にいくつか残されたハドリアヌスの詩の中で、おそらく最も有名なものを掲げておきます。 　これは、愛人であった美青年アンティノウスの若すぎる死を嘆いて作ったものとされています。 Animula vagula, blandula, Hospes comesque corporis, Quœ nunc abibis in loca Nec, ut soles, dabis icos... さまよえる　いとおしき魂よ 汝が客なりしわが肉体の伴侶よ 青ざめ　こわばり　露わなるあの場所に 昔日の戯れも　もはやかなわで．．． 　なんとも、複雑で多彩な人物でした。（2025/1/17） 　 　読書メーターの記録より　　読了：2022/4/26